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本当はね、な言葉たち

過食症な筋肉系メンヘラガールの心の中

よく、分からない

私は、誰かの愛が欲しい。

それだけで、いい。愛が欲しい。誰かの一番になりたい。都合良い、はもうおしまい。そんな生産性のない時間は費やしたくない。

それか、サイコパスになりたい。

人の愛を必要としない代りに、自分も愛情を感じられない、人になりたい。

内科に行ってきた

こんにちは。

今日もメンヘラガールを全う中な私は、元気とは言えないけれど、

まあとにかく生きている。

 

昨日は、あれから

野菜スープ、ダース二粒、ミニ焼きプリン、ココアを飲み、

最悪な状態で就寝。

翌日は、授業をさぼり、(くず中のくず)お腹がすいていないにもかかわらず

チーズエッグトースト二枚、野菜スープ、りんご三切れ

そして家をでてからも過食欲が収まらなかったため、

シュークリーム三種(ローソンのメロンパンみたいなシュークリーム、ファミマのプレミアムシュークリーム、ローソンのカスタードシュークリーム)とポテトチップスサワークリームオニオン大きな筒状のやつ(ダイソー

を食べ、こんなの太るに決まってるでしょと自己嫌悪しながら病院に向かった。

 

摂食障害なのに内科??ってなるかもしれないが。

私は同時に自律神経失調症と思われる症状も発症している。

従って、友人のすすめもあり、本日は二子玉川駅から少し離れた、スターバックスneighborhood 玉川三丁目店からほど近い、せたがや内科、神経内科科に行ったのである。

 

以下、備忘録的に、診察の様子を綴ってみる。

一通り、症状と摂食障害を併用していること、運動部であることを伝えると、

まずは、レントゲンを正面と背面の二種類撮影した。

以前整形外科に行った時も言われたのであるが、

やはり、ストレートネック、だと先生はおっしゃった。(首の骨に傾斜がなく前に重心がかかっていること)そして、それが要因で、多くの問題を引き起こしていること、すなわちここを改善すれば、総合的に診てもだいぶ良い方向にいくことを説明された。

そして、筋肉のつきすぎでそのまま固まってしまっているため、肩の奥の方が非常にこっていることを伝えられ、一連のストレッチ方法を教わった。

で、睡眠導入剤デパス、胃の不調を緩和する桂枝加芍薬湯という漢方、肩の塗り薬であるスミルチックを処方してもらった。

 

今、摂食障害の病院も捜しているところだが、少しでも良い方向に行くように、わらにもすがる想いである。

以上、二子玉川駅、アンティアンズでコーヒーを飲みながらのお届けでした。

 

 

 

病院へいこう

今日、本当にきちんと病院に行く事を決意した。

 

特にきっかけはないのだけれど、母に色々自分のことを分かってもらおうと、言葉を並べたところ、毎回、結局専門家に診てもらうという結果に行き着くからである。

別に、過去にも行った事がないわけではないが、そこでひどい目に会って、以降その選択を避けるようになり、現在に至って居るわけであるが。

やっぱり、このままではどう転んでも変わらないというのを自覚したので、専門家に行こうと、再度決意したのだ。

しかし、金銭的にどこもばかにならない。

保険、おりるようにならないかな。

実際、摂食障害は、難病指定されているし、この痩せ信仰が蔓延する世の中において、今後益々増えていくであろう障害だと私は考えている。

また、完治した患者も、再発の可能性が充分にあるため、そのような人も予備軍とすると、患者数は増えていく一方だ。

そんな障害なのに、診察費用が高いという理由で、ほったらかすと悪化しかしないと思う。また、病院に相談に行くという行為を、軽度のうちにすることは非常に重要である。

従って、医療保険対象にすること、神経内科での摂食障害外来の垣根を低くし、誰でもが気軽に通院できるような状況にすること、そのためには日本社会において摂食障害の認知度をあげること、が必要だと考える。

現在の日本では、欧米と比べて圧倒的に摂食障害の認知度が低い。

特に、過食症については、食べたら太りたくないから吐く奴でしょ、ぐらいの感覚の人が多いように感じている。また、むちゃ食い障害に至っては、全く知らない人が殆どだ。

それは、メディアで取り上げられる頻度が低いこと、また、専門治療施設も数が少ないことが原因である。

従って、それらの改善を試みない事には、一人で悩む患者が増える一方だと私は思う。

こんなに、未来も希望も沢山ある生活をすべて崩してしまう悪夢のような障害に苦しむ人が少しでも減りますように。

 

 

 

そんな私は今日も過食をしてしまった。

 

昼に起床して、お腹すいたので

昼ご飯

ごはん、焼き鮭、もやし炒め を普通に食べる。

 

しかし夜ご飯を食べた後に、やってしまった。

夜ご飯

野菜スープ、ベビーリーフ、生姜焼き、ご飯

過食内容

イングリッシュマフィン三切れ、アイス二個、野菜スープ一杯、ラングドシャ一つ、生姜焼き半人前、ご飯一杯。

 

まだまだお腹いっぱいの感覚はなかったけれど、とりあえず吐かなきゃ、と思い(私は基本むちゃ食い障害だけれど、夜などは一部だけ吐いたりする)強制終了。

お風呂で、アイス二個、野菜スープ、ラングドシャ、生姜焼き、だけ吐けた。吐き残しはご飯一杯とイングリッシュマフィン。

とりあえず、顔はむくむし、今だいぶ罪悪感に苦しんでいます。

年末は行事が沢山あるから、なるべく痩せたいのにな。

 

早寝早起きが最近全く出来ていない。本日もそうだからブログを書いているのだけれど。

一時期挑戦してみたが、夜が見事に寝れず、必然的に朝も遅くなる。

薬、デパスでも使ってみようかと検討中。

とりあえず、明日診療の予約をすべく電話をします。

一歩踏み出す。

変わりたい。

私なりに、充実した生活を送る為に。

 

捉え方を変えろというのは分かっているけれど。

 

 

すべてにおいて、頑張っている風で後から考えれば全然努力出来ていなくて、

ただただコンプレックスばかり募って

それを代償行為で逃避しようとして

そんな自分に罪悪感を抱えつつ

モチベーションには繋げず負の無限ループを繰り返している私は

なんなのでしょう。

「生きる為に生きている。」

最貧国の実態を記した本にこんなフレーズが出てきた。

私はとても恵まれた境遇にいるはずなのに

底辺のような考え方で

そんな言葉を思い出してしまう程で。

 

 

何になりたいの?

そのためには今どうしなければいけないの?

100で出来る訳ないじゃん、でも継続すれば0にはならない、−にもならない、そんなこと分かっているでしょう?

 

 

苦しい経験をした分だけ、幸せになれるなんて、そんなの嘘だ

 

幼少期の体験や、親との関係、喪失体験など辛くてどうしようもなくて、

でも誰にも言えなかった事、

それこそ”本当はね、な言葉たち”は

無意識の内に自分の中で大きな大きなしこりとなり、

数年後何かのきっかけで障害として、表面化する。

そして、わたしという存在すべてを支配する。

それを

周囲の人々はメンヘラと呼ぶ。

 

ずるい。

沢山沢山我慢したのに。

周囲に迷惑かけないように、心配かけないように、

毎日毎日、ベットの中で泣きながら我慢してきたのに。

 

なんでまた、辛い思いをしなければいけないのだろう。

 

 

我慢した分だけ幸せになるなんて嘘だ。

 

 

 

私は摂食障害です。

 

 

 

 

 

 

 

 

言葉を大切に

肌寒い夜。

去年の私をより一層冷えきらせた季節が、今年もまたやってきた。

去年の私は、今年の私にどんなことを期待していたのかな。

 

今日、犬の散歩中にふと漠然と思っていた事を言語化出来た。

それは

ありきたりで使い古されたコトバを、コトバではなく実態として捉えていたい、ということ。

前回のブログにも書いたけれど、私達の周りには言葉が溢れている。

何かを経験した経験、その中で感じた事、それらを言語化したところで、どこかできいたような薄いコトバになってしまうことの方がずっと多くて。

それは、自分の想いを均一の言葉という形に当てはめるという作業を通すので、しかたがないことである。思いという不安定なものを日常になじませるためには、言語化が必要なのである。

だから、私が言いたかった事は、それをただのコトバではなく、自分のものとして捉えたときに、はじめて気付きが生まれる。自分の中で実感出来るということである。

 

 

数ヶ月前の、Facebookの自分のみ投稿にもこんなことが書いてあった。

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言葉を、大切にしよう。いつも心にとめて。

ありきたりな表現しか出来ないけれど

部員日誌に書きたくて、チキって、書けなかった事があった。

正確に言うと、一回投稿したけれど、次の日の早朝に消した。

誰かには見られている。アクセス数からそれは分かった。

でも、なんだか、なんだろう、今、あの場で私の本名で、みんなに読まれる勇気はなかった。

だから消した。

 

 

けれど、やっぱりこの、今これを書いた時点の私としての気持ちそのままを残しておきたいという思いもあって。

それが、ここに書く、という答えになった。

 

文体とかは堅苦しいから少し変えよう。

 

 

 

 

 

最近、毎日わりと楽しくやってる。

練習はもちろん、趣味に熱心になってみたり、友達とわいわい過ごしたり、一人でカフェに籠って小説(余談ですが最近、『失われた時を求めて』を読み始めました。全シリーズ、読破するのが目標です、いつになるか分からないけれど)を読んでいたら終わってしまう日があったり、新しい出逢いの中で得るものについて実感したり、と平凡ながら充実した毎日を過ごしている。

 

んー。なんか。

 

平凡って、幸せだなあって。

 

 

いや、この歳で何言っているのだ、もっと貪欲にならんかいって言われるかもしれない。「向上心のない者はばかだ。」確かにそう。もちろん、それは心得ている。しかし、私は、この何気ない毎日が凄く好きだし、出来れば一生続いて欲しいな、と思うんだよ、とてもね。たぶん、これ以上の幸せを得たら、その幸せを失ってしまうのが怖くなって、充分に今を楽しめないのかもしれない、と感じてしまうから。それに起因して、私は、映画や小説でもハッピーエンドを好まない。その先にある、闇をみてしまうから。というか現実では、そんな素敵な終わり方なんてない、と思う。何かと、心に引っかかるものや抱え込むべき問題が残る。だから、救い様もないくらいの悲劇が好きだったりする。

特に『人間失格』には非常に影響を受けたというか、力をもらった。堕ちるところまで堕ちても、人間って結局人間なんだよ、私は、そう言われたような気がした。

 

 

 

…約一年が経ちました。

 

あれから、一年。

 

 

 

 

 

この一年、私はたぶん一生忘れない。

 

 

 

 

 

 

私は、中学、高校とわりとも揉まれながら生きてきた。常に自分自身の存在意義について自問自答してきたし、今振り返っても、一生戻りたくはない、と思う出来事も沢山あった。だからこそ、何があっても耐えられると思っていた。どんなことがあっても、私は大丈夫だって。

 

でも、最も恐ろしい事は自分の中にあったんだって。

 

きっかけは外的要因、でも、変わってしまった私自身が凄く、凄く怖かった。なにより怖かった。きっかけなんかよりずっと、その後の自分が怖かった。ああ、終わったなって思った。

どんな過去を積み重ねてきたって、そんなのが何の役にも立たないんだと思った。村上春樹に言わせれば、「人生とは、ただの容れ物だと思っています。空っぽのかばんみたいなものです。そこに何を入れていくか、(何を入れていかないか)はあくまで本人次第です」ということだけど、私の容れ物の底には穴が空いて、急に空っぽになってしまったようだった。私と呼ばれる空っぽの容れ物は、ただただ、毎日を過ごした。記憶なんてないに等しいぐらいで。ひたすら、時間と調和して、過ごした。自分にも、人にも、関心なんて全くなかった。

 

だけど、そんな私を助けてくれたのは、やっぱり一回、容れ物の中にいれた中身だった。私が迷いながらも必死で生きてきた、その中で得た出来事達は私の中には一度なくなってしまっても、周りの人の中にはちゃんと残っていた。そして、私の容れ物の穴を修正し、少しずつ、そこに一度入れたものを戻してくれた。

 

 

 

今、私はそんなことがなかったかのように、毎日笑って過ごしている。でも、私を助けてくれた人達が一人でも欠けていたら、今はない、決して。

だから、周りの人達に言葉に出来ないくらい、感謝しかない。

本当に。本当に。支えてくれた皆さんに、いつか一人ずつ、会いに行って、お礼を言いたい。ありがとうございます。

 

そして、そんな出逢いをものに出来た過去の自分自身も、少しだけ、褒めてあげたい。

 

 

 

 

使い古された言葉になってしまうけれど、やっぱり「自分が経験したすべての出来事に無駄なことなんて一つもない」、この経験を通して、私が得た大切なことはこれだった。

 

周りを見れば、言葉が沢山溢れている。

何をしなさい、何を心に止めて生きなさい、これが大事だよ、本や雑誌、ネット、誰かから言われる言葉、出会いうるものは数えきれない。

でも、そんな言葉をいくら目にしたところで、それは結局他人事で。人は何かを自分自身のことと実感して初めて、本当に気付きとして自分のものに出来るのだと、私は思う。だから、私がこの経験から感じた全てのことだって、一度は耳にしたようなことばかりだった。でも、特に不器用な私は、こういう経験をしないとその言葉を自分のものとして得ることは出来なかったと改めて、思う。

 

 

 

自分に起こる全ての出来事が自分にとってのspecialだと思って前に進めたら素敵な事

 

 

 

先日、大好きな人にもらった言葉。

 

こういうことなんだよね、要は。

 

 

 

 

何が言いたかったのかと言うと、

あれから一年、

そこらへんの女子大生みたいにリア充ぶることは出来ないけれど、

周りの多くの人のおかげで、私は私なりにhappyな毎日を過ごしている。

 

感謝。

 

 

 

という訳で、

文章力も面白みもない私のブログを、最後迄お読み頂いた方いましたら、ありがとうございます。

長文、乱文、大変失礼致しました。

私から私へのブログ、だけど公開設定にしないときっと私は支離滅裂なことをかいてしまうだろうから。言葉を紡ぐって難しい。つくづくそう思う。

明日は1mmでも前進しているといいね。おやすみなさい。